鳥政本店
torimasa.jp

[Top Page]

[会社概要] [沿革] [取扱商品] [主な取引先] [設備紹介] [問合せ]



大山どり

湧き出る多くの名水を育む山陰の秀峰大山。

「大山どり」は、大山の麓を中心に種鶏の育成から孵化・生産・処理まで一貫した生産体制で取り組まれ、飼料会社との共同開発による「大山どり専用飼料」を与えることにより、腸内細菌を整え、バランスの良い脂乗りと旨味を追求しているとのことです。

「大山どり」は、鶏肉本来の美味しさを求めて、加工前の冷却工程(中抜きと体冷却)において、冷水に漬けるのではなく、空気だけで冷やすエアチラーシステム方式が採用されています。

水に漬けないということは、外部から水分を取り込むまずに済み、むしろ余分な水分を冷風で飛ばしていくことで、ドリップの少ない新鮮で美味しい鶏肉を作ることが出来ると考えられています。

参考:[「大山どりとは」](株式会社大山どり)





美味しい銘柄鶏の代表として今や全国ブランドとなった「大山どり」、
弊社では昭和30年代より取り扱いを始めました。

半世紀前の昭和30年はじめ、オート三輪に廃鶏を満載した男が先代の元に買って欲しいと訪ねてきた。その男が村上古志夫(現山陰食鶏農協組合長)氏であった。「今まで大阪へ売っていたが、買い叩かれて採算も何もあったものではないので、新たに販売先を考えねば・・・」とのことであった。

弊社先代の政一郎と話し合いの回を重ねる毎に将来の展望など、そのユニークな発想に共感し取引が深まってきた。当初の廃鶏のみならず、食用若鶏(当時ブロイラーとは言っていなかった)の販売へと広がりをみる様になった。

当時、消費地は大変な人手不足で困惑していた。そこで、全国的にも殆ど例のない産地でのと体処理に踏み切って貰うようお願いし快諾を得、取引が拡大していった。

昭和32年に先代が死去したが、取引は途切れることなく継続している。毎年初めに行っていた年間計画の話し合いの中で、村上氏の「京都~下関までの間に2カ所しか無かった処理場が、米子近郊に雨後の竹の子の如く乱立し先行き不透明となり、他所にない何かを考えたい」との提起により、全国的にも珍しい若鶏の解体(正肉)出荷に踏み切った。

その後、ピッグサイクルと同様に食鶏にも大変な暴落の波が幾度となく訪れたが、その波に呑まれることなく、今に至っている。現在の日本ブロイラー業界のパイオニアとして、(社)日本食鳥協会の副会長を永年勤めていただいたのは当然であり、山陰食鶏農協と取引させていただいていることは、当社のみならず業界の誇りでもあると考えている。

[弊社代表による「大山どり」の回想](とっとり畜産広場「鳥取県畜産推進機構」)より



[Top Page]

[会社概要] [沿革] [取扱商品] [主な取引先] [設備紹介] [問合せ]